コンサートのチケットについて

風がつよく、飛ばされてきた新聞が顔にはりつきました。漫画か。

とてもありがたいことに、3月2日のリサイタルチケットが残り少なくなってまいりました。
コンサート1ヶ月以前であるにもかかわらずこのような状況に恵まれ、みなさまにはこのうえない感謝の気持ちでおります。本当にありがとうございます。

さてさて、チケットの残り枚数の微調整のため、チケットを扱ってくださっている
浦安音楽ホール(窓口にて直接販売、お電話でのお求めはできません)
チケットサイト イープラス
ギターショップ メディアカーム
コンサート事務局(お名前と希望枚数をお送りください)
には日々問い合わせをして枚数確認、枚数移動につとめていますが、もし在庫がない場合は上記のうち他のお店にもお問い合わせください。

 

大坂さん

テニスの大坂なおみさん、女子テニス全豪オープンで見事優勝。すごいです。
ここぞという正念場で自らの力を、集中力を発揮するのは簡単ではないと思います。
決勝戦中盤に崩れかけた集中力を立て直して己に勝ったあの精神力。
優勝が決まった時のあの静かな表情はなんだったのだろう…

敗者を前にして露骨に喜ばない武士の心かな。
なんであろうと、とてもかっこよかった。
勇気をもらいました!
わたしも人に勇気と元気を与える人になりたいな。

養神館合気道龍

昨年末の株式会社ウラタのクリスマスコンサートにて、客席に合気道の師匠がいるとは思いもしませんでした。

私が少年合気道を習わせてもらっていたのは小学生の時。
毎週木曜日は道着にわらじで海楽の道場に通っていました。

正確には演奏を偶然聴いていたのは私の師匠の師匠。安藤毎夫師匠。
なんでも、毎年舞浜総合体育館で行われる合気道の演武大会に海外の合気道を志す若者を招待するにあたり株式会社ウラタが協力しているみたいで、偶然の偶然、客席にいらしたみたいです。後日それを人づてに聞きました。

今日、市役所にて新聞の取材を受けた帰り道に自転車で突如道場を覗き、ご挨拶させていただきました。ちょっとの時間でしたが私の師匠、堀田晃正師匠は独立して道場を構えていることや、いろいろなことで話が膨らみました。
いつでもどこでも、精神面での影響が大きい恩師に再会するということは、どこか感動するもので、あたたかくも気の引き締まる思いがします。伺えてよかった。

2月11日(月)浦安市舞浜総合体育館メインアリーナにて
第15回ジュニア合気道演武記念大会があるとのことです。
世界各国から優秀なジュニア達が集まり合気道の技を各々が披露するようです。
観覧は無料みたい。行こうかな。あ、名古屋にいるんだった…。残念!

全国CD発売開始

1月23日。いよいよアマゾンやタワーレコードオンラインなどなどでの日本全国流通が始まりました。 日本のどこであっても、とにかくCDやDVDを扱っているお店であればお取り寄せが可能です。(たとえ店頭になくとも)

現時点でCDは私のもとにあり、注文を受けたら物流倉庫に送り、お客様のところへ届くという流れになります。発売が今日だったのでおそらく流通サービス会社が枚数を集計して近日中には私の元に「合計何枚送ってくれ」という知らせが来るのではないでしょうか…? ご注文くださった皆様、しばしお待ちください。

 

月と東京湾

3月2日のプログラム

帰国記念リサイタルのチラシの予定曲目としてさまざまな重量級の曲も書かれていましたが、少し変更して親しみやすい曲を多く入れることにしました。

テーマとしたのは「ストーリー性」。
一つ一つの作品にあたたかいストーリーがあって、それをみんなで楽しみましょう。というようなコンサートにしたいのです。
聴いたことがある曲も、聴いたことなくてもどこか懐かしくてほっこりする曲。
それから南米のチリソースが効いたホットなもの、それらのバランスのとれたプログラムとなりました。

アンコールの「ル」の字までもを皆様の心に響くコンサートにします。

ちなみに今日、おかげさまで来場予定の方の数が半分に到達しました。
音楽家を支える音楽事務所の宣伝力や影響力はさまざまな努力があって成り立つのだと改めて感じております。
現時点で私は音楽事務所に属さず、自分一人の宣伝力には限界がありますが、多くの人のお力をお借りしてここまで来られました。ありがとうございます。

あと1ヶ月と少し、完売を目指し頑張りますのでブログを見てくださっている皆様、どうぞ応援よろしくお願いいたします。

岡本拓也

あれから9年

1月16日は私の最初の恩師、故平塚康史(ヤスフミ)先生の命日でした。
2010年のことだったのであれからまる9年が経ったことになります。

浦安市の地域連携事業の一環ではじまった「日の出ギターアンサンブル」。
まだ小学3年生だった私は家に眠っていた父のギターをケースも無しに裸で担いでサークルに参加していました。同年代の仲間と一緒にグループレッスンだったのでみんなで刺激しあって、しかしゆったりと楽しくギターを弾いていました。
ギターを「楽しい」と思い続けられたのはその「ゆったり」としたレッスン環境を作り出していた平塚先生のおかげでした。
なんと偶然先生の出身は私の両親と同じく愛媛県松山市。そんなこともあってあたたかい国のあたたかい先生だったのだろうか、と思うのです。

中学生になりコンクールに出るようになってからは他の先生のレッスンも受けるようになりましたが、それでも可能な時はサークルに顔を出していました。
しかし突如先生の体に不治の病が見つかり、それからのことはとても速かったように覚えています。もう限界だと周りが感じる時でさえ自分でギターを背負い教室に来ていました。ベットの上ではサイレントギターで右手の練習だけでもしていたそうな。

2009年、私は国内で三つのコンクールを受け、すべてで最優秀賞をいただくことができました。三つ目のコンクールで、本当は病院で安静を強いられていたにも関わらず先生は抜け出して聴きに来てくれました。あの時精一杯の演奏を集中して実現できたのは「今しかないんだ」という気持ちが前に出ていたからなんだと思います。翌年1月16日に先生はなくなりました。亡くなってから荼毘にふすまでの三日間は一つの雨も降らずカラッと晴れ、夜には月が綺麗でした。

16日は先生の家で奥様と献杯し、いろんなことを語らいました。先生とお酒をのむことはなかったけれど(先生はお酒を一切のまなかった…!)今考えるとお酒も飲まずに二人でよくもあんなにギターのことで喋っていたものだと今になって笑えてきます。

16日の帰り道、見上げると上弦の月がまぶしかったです。