中高の恩師

先日の新潟でのゲスト演奏後、楽屋を訪れてくださった中学高校時代の先生。本当に驚きました。いやはや、私を人として形作ってくれた先生方にはいつになっても頭が上がりません。高校卒業して以来の再会に感謝です。

当日は はるばる遠方からいらしてくださった方もいまして、驚くことばかりでした。お越しくださったみなさま、誠にありがとうございました!

あれから9年

1月16日は私の最初の恩師、故平塚康史(ヤスフミ)先生の命日でした。
2010年のことだったのであれからまる9年が経ったことになります。

浦安市の地域連携事業の一環ではじまった「日の出ギターアンサンブル」。
まだ小学3年生だった私は家に眠っていた父のギターをケースも無しに裸で担いでサークルに参加していました。同年代の仲間と一緒にグループレッスンだったのでみんなで刺激しあって、しかしゆったりと楽しくギターを弾いていました。
ギターを「楽しい」と思い続けられたのはその「ゆったり」としたレッスン環境を作り出していた平塚先生のおかげでした。
なんと偶然先生の出身は私の両親と同じく愛媛県松山市。そんなこともあってあたたかい国のあたたかい先生だったのだろうか、と思うのです。

中学生になりコンクールに出るようになってからは他の先生のレッスンも受けるようになりましたが、それでも可能な時はサークルに顔を出していました。
しかし突如先生の体に不治の病が見つかり、それからのことはとても速かったように覚えています。もう限界だと周りが感じる時でさえ自分でギターを背負い教室に来ていました。ベットの上ではサイレントギターで右手の練習だけでもしていたそうな。

2009年、私は国内で三つのコンクールを受け、すべてで最優秀賞をいただくことができました。三つ目のコンクールで、本当は病院で安静を強いられていたにも関わらず先生は抜け出して聴きに来てくれました。あの時精一杯の演奏を集中して実現できたのは「今しかないんだ」という気持ちが前に出ていたからなんだと思います。翌年1月16日に先生はなくなりました。亡くなってから荼毘にふすまでの三日間は一つの雨も降らずカラッと晴れ、夜には月が綺麗でした。

16日は先生の家で奥様と献杯し、いろんなことを語らいました。先生とお酒をのむことはなかったけれど(先生はお酒を一切のまなかった…!)今考えるとお酒も飲まずに二人でよくもあんなにギターのことで喋っていたものだと今になって笑えてきます。

16日の帰り道、見上げると上弦の月がまぶしかったです。